歴史風貌

  現用名:花都(区)

  旧名:花県

  漢代:番禺より管轄。

  隋代:南海県より管轄。

  宋代以降:それぞれ番禺、南海県より管轄。

  清康熙二十五年(西暦1686 年):南海、番禺という二つの県にある一部の地域を取って県を設立し、都市が花山に近いため、「花県」として名付けられ、広州府に属されていた。

  

  民国時期:花県は主に省より直轄されていた。

  建国後:江北専区、珠江専区、粤北行政区、仏山専区に属されていた。

  

  1960 年4 月:広州市の帰属県として区付けられた。

  1993 年6 月18 日:国家より許可の元、県を撤去して市(県級)を設立し、花県を撤去して「花都」として名付け、省人民政府から広州市の代理管轄を委任した。

  2000 年5 月21 日:国家より許可の元、市を撤去して区を設立し、広州市花都区になった。 

  

  花都には人文が集中している。明清時代から残された数多くの古村、古代建築群、古代書院などから,その一部を見ることが出来ている。今現在でも関連の専門家から考察結論がまだ無いが、花都人にとってその芳華が自分で分かっている。

  

  花都区の歴史文化旅行資源が豊富多彩で、洪秀全旧居、洪秀全記念館、資政大夫祠古代建築群、盤古王廟、炭歩鎮朗頭村民家古代建築群、花東鎮高渓村欧陽荘民家古代建築群等がある。そのほか、宗教文化建築の圓玄道観もあり、その建築はとても立派で、省内随一の道教聖地になっている。歴史文化旅行資源の中に花都は天平天国領袖洪秀全の故郷として、雲の七色変化のような歴史絵巻に濃い色彩の溢れる一筆が残され、また花都旅行の本日に濃い色彩のある一筆が書き出されている。

  

  嶺南建築特色のある花都区民俗博物館

  塱頭古村赤提燈高掛け村民盛宴で新年を迎える

  圓玄道観

  資政大夫祠

  盤古王節に百獅子参拝